第159回

日時:4月21日(土)14:00~17:00

場所:神戸市役所4号館(危機管理センター)1階会議室

神戸市中央区江戸町97-1 Tel. 078-333-0119(消防)

参加者数:32人

内容:

①石巻のこどもたちの現状について

―子どもが必要とするケアとにじいろクレヨン活動―

柴田 滋紀 NPO法人にじいろクレヨン(認証申請中)代表

②いのちをつなごう~被災地・非被災地のコミュニティづくり

ロニー・アレキサンダー 神戸大学大学院 国際協力研究科 教授

桂木 聡子 兵庫医療大学 薬学部医療薬学科 講師

①石巻のこどもたちの現状について

―子どもが必要とするケアとにじいろクレヨン活動―

柴田 滋紀 NPO法人にじいろクレヨン(認証申請中)代表

東日本大震災は、子どもたちから家屋、学校や遊び場を奪うだけではなく、強い緊張や恐怖、大きな悲しみをもたらした。親や友達との分断による不安や、避難所や仮設住宅の慣れない環境での負担を抱えてきた子どもたちの中には、無気力・無表情な子や、逆に暴力や暴言をぶつける子も少なくはない。そのような子どもたちが健全な精神で成長できるよう、安全に安心して遊べる場を作り、震災のストレス等を発散できる環境を提供することを目的として「NPO法人にじいろクレヨン」が設立された(詳細はhttp://nijiiro-kureyon.jp/を参照)。今回の発表では、団体代表の柴田氏自身が経験した東日本大震災と、避難所から生まれた「にじいろクレヨン」の活動を通して見えた子どもたちの変化と現在の状況、そして今後の課題についてご報告を頂いた。

地震発生直後、当時消防団に務めていた柴田氏は、石巻市文化センターの2階から周辺の河口の異変を覚知し、津波の危険性を懸念した。大津波が来襲したのは消防団として地域住民の避難誘導を行なっている時であった。津波が近くまで押し寄せてくる中、門脇小学校へ向かったという。校舎の周辺では津波で流れてきた車等の衝突によって火災が発生し、ガレキに取り残されている人々等、目の前にいる者を救うのが精一杯な状況で、裏山へ二次避難が行われた。一晩中、救助などの活動に関わり、翌日、日和山の石巻高校避難所で家族と遭遇した。自宅は津波で流され、土台だけが残り、地震発生時に乗っていた消防車や自家用車も壊滅的な状態で、その後発見された。震災後は生活が大きく変わったという。

石巻高校の避難所は表情が失われた子どもや疲れ果てた大人であふれていた。そこで、もともとお絵かき教室を行なっていた柴田氏は、その経験を子どもたちがもつストレスを発散させる活動に活かしたいと考え、震災発生から10日後に「石巻子ども避難所クラブ」(現「にじいろクレヨン」)を設立した。当初、石巻高校に避難していた保育士の協力を得て、手遊びや遊び歌をしているうちに、避難所にいた100人の児童のうち約30人がトレーニング・スペースの一角に集まった。その後、一日に1時間半程遊ぶ時間が決められ、活動が活発となった。最初は折り紙、歌、読み聞かせや鬼ごっこなどが中心であったが、次第に子ども関係の支援物資が届くようになり、フィンガー・ペインティングやお絵描き教室も行われるようになった。子どもたちが初めに描いた絵には濁った色が多く見られたが、次第に暗いトーンが強い絵は少なくなり、色の表現の変化によってストレス発散の効果が現れる作品の事例が紹介された。また、各地からのボランティア団体の協力によって人材が増え、6月までは10箇所の避難所で活動を展開し、その後は仮設住宅へも活動拠点が広がった。活動先によっては保護者の方も参加して楽しまれることも見られた。約1年間にわたる「にじいろクレヨン」の活動を通じて、子どもたちが笑顔を見せるようになったことや、落ち着いて人の話を聞き、自ら家族や学校生活についての話もするようになった等、様々な変化が見られたと指摘した。

宮城県小児保育協会主催セミナー「震災後の子どもと家族のケア」(仙台2012年1月)では、子どもたちが経験した外傷的出来事として、強烈な緊張・自分を圧倒する恐怖感や悲しみ・親との分断による強烈な不安・移転による故郷の喪失等が挙げられた。そこで、子どもの支援につながる取り組みとして、安心安全な環境づくり・日常生活の立て直し・活動の機会の提供・感情を出せる配慮など、長期的なサポートの重要性が示された。しかし被災地には、現状では、継続性がないイベント型活動は多くあるものの、子ども支援を継続的に行う団体は圧倒的に少ない状況であり、長期的な支援の対象となっているコミュニティの数も非常に限られている(石巻市では、2012年4月現在、約130の仮設住宅団地の内、8箇所のみが「にじいろクレヨン」の活動拠点となっている)。集会場や広場等が整備されていない仮設住宅もあり、発散できる場所が見つけられないため、ストレスを貯めている児童も現在にいたって多くいる。

子どもたちには一時的な娯楽だけではなく、長期にわたるサポートが求められており、今後「にじいろクレヨン」の活動を継続していく上では、地域コミュニティーの潜在力を活かし、アートを始めとする子どものケアや教育に取り組むことが重要であると指摘した。地元の方々の特技を活かし、お絵描き・モザイクアート・歌や音楽・お料理教室などが開催される傾向があり、長期的には石巻をアートで盛り上げる活動へ発展することが望まれる。そのためには、地域の住民の協力・参加や各地からの活動支援が必要不可欠であるとの見解が示された。

②いのちをつなごう~被災地・非被災地のコミュニティづくり

ロニー・アレキサンダー 神戸大学大学院 国際協力研究科 教授

桂木 聡子 兵庫医療大学 薬学部医療薬学科 講師

アレキサンダー教授は2006年に「ポーポキ・ピース・プロジェクト」を立ち上げ、世界各地にて市民らに身体・五感・感性・情動を使って、「平和」を表現してもらうワークショップ(お絵描き・物語づくり等)を行なってきた(詳細はhttp://popoki.cruisejapan.com/monogatari.htmlを参照)。今回の発表では、東日本大震災の被災地支援活動として展開した「ポーポキ友情物語プロジェクト」の活動について、アレキサンダー氏・桂木氏からご報告して頂いた。参与型研究を通じて、様々な「被災経験」を記録すると同時に、被災地・非被災地の連携や今後の支援方法を探るためのものである。

震災発生から約1ヶ月後、アレクサンダー教授はプロジェクトの主人公である愛猫「ポーポキ」が描かれた大きな布を持って、宮城県や岩手県の避難所を訪ねた。被災者に切布に自由に絵を描いてもらうよう呼びかたところ、震災で失ったものや希望を託するものなど、様々な心の叫びが寄せられたという。それぞれが描いた切布は60メートルの「ポーポキ友情物語」に連なり、その後、神戸や大阪、そして米国、チェコ、ネパールなど、4カ国6都市で、復興への願いのメッセジーが作品に加えられた。また2012年1月には「いのち」「いかり」「つながり」等のキーワドで章立てられたバイリンガル絵本(日本語・英語)「ポーポキ友情物語~東日本大震災で生まれた私達の平和の旅」が出版された。

「ポーポキ・ピース・プロジェクト」によるワークショップのポテンシャルとし、参加者が人間の存在とは異なる主人公「ポーポキ」の気持ちになって、平和等について原点から考えることが可能であることを示した。東日本大震災の被災地における活動では、怒り、恐怖や悲しみ、そして希望や絆など、言葉では示すことが難しいものが絵で表現され、被災言説が国境を越えて伝わったと考えられる。また、被災地・非被災地における多方向的な交流は、復興への支えにつながる 「情動コミュニティ」の形成に役だったと述べた。復興のイメージ、治安問題、孤独・自殺防止、心のケア、人々の絆や防災対策など、被災者同士・ボランティア同士で多様な課題が共有されたという。今後、「ポーポキ友情物語」から始まった交流活動は「災害に強い平和な社会づくり」を目指し、防災教育にも役立つ取り組みとして継続されることが示された。